プロフィール


氏名    井上綾乃 

生年月日  1970年 

出身地   沖縄生まれの沖縄育ち

趣味    手芸、DIY、読書、旅行、野球観戦、音楽鑑賞、食べ歩き、スポーツ全般

特技    晴れ女、好き嫌いがない

好きなもの 動植物、サカナクション、阪神タイガース、お菓子全般、梅干し、トンカツ

座右の銘  来る者は拒まず、去る者は追わず


保有資格


*中井代替医療研究

ERTスペシャリスト公認施術者

公認インストラクター

 

その他

*日本アドラー心理学(パセージ終了) 

*色彩心理カウンセラー

*TCカラーセラピスト

*食生活アドバイザー

*メンタルケア心理士

など


自己紹介


改めまして!!

cocorotoiroこころといろの井上です。

 

ここからの内容は

幼少期からのこと、病気や出産記録も兼ねて「私の健忘録」として書いてます。

 

くれぐれも、興味のある方のみお読みくださ〜い。

 

 生い立ちと家族

 

1970年、まだアメリカの統治下にあった沖縄

 

世界遺産でも有名な斎場御嶽のお膝元、南城市(旧知念村)で生まれ育つ。

 

6人家族、3人姉弟の長女。

 

父は、明るく情熱的で探究心旺盛、うんちく屋の新聞記者。

琉球空手の有段者で、近所中に響き渡る程の「気合い」を叫ぶので有名人。

 

母は、優しくて穏やかで善人な小学校の教師。

 いつも物静かに本を読み、音楽を聴き、絵を描いていた。感性と感受性が強すぎる不思議人間。

 

祖母は、戦後の貧しい時代に、女手一つで5人の子供を育てあげた強くて逞しい人。

小売業と養鶏業と着物の仕立てを同時にしていた必殺仕事人。

晩年は琉球琴とゲートボールがとても上手だった。

 

2歳下の弟は、重度の喘息だったため、夜間問わず発作を起こす。その為、甘えん坊で育つ。

のんびり屋さんで超〜優しい子。

泣かされて帰ってくる度、私が「敵討ち」に出かけて行った。

     

7歳下の弟は、強運の持ち主。

「ザ・世界仰天ニュース」の様に、車中で産まれて、パトカー誘導のもと病院に着いたそう。

 女の子?と思う程可愛いくて、みんなの癒しでマスコット的な存在だった。

 

両親は共働きでオマケに弟が重度の喘息だった為、私は殆ど祖母に育てられる。

 

一応、祖父はいたのだが「大人の事情」で、盆と正月のみに会うだけ。宍戸錠にそっくりの色男だった。

(後に知ったが、2号さんとの間に子供を5人作り、さらに3号さんまでいたらしい)

 

 

そんな家族

 

 

小学生〜高校時代

 

殆ど病気もせず、男の子の様に海や山で遊び回っていた。

 

小学校はソフトボール、中学はテニス部、高校は水泳部に属して、常に野外にて活動する。

 

常に真っ黒。

(あの頃既に、生涯における紫外線量のキャパを越してしまったせいか、今では紫外線アレルギーです。)

 

父親譲りの動物好きで、

犬、猫、オウム、インコ、伝書鳩、ニワトリ、チャボ、うさぎ、亀、アヒル、熱帯魚、島ヤドカリ等を飼育。

 

小5の誕生日プレゼントに買ってもらった「伝書鳩」と、父に作ってもらったどデカイ巣箱が1番の思い出。

 

ピアノを長く続けたが、ある時、自己陶酔している自分が恥ずかしくなって辞めてしまう。

 

性格的には、明朗活発、好奇心旺盛で、誰とでも仲良くできる子供だったと思う。

 

特に高校時代は、体力、気力が旺盛だった。

 

夏は水泳の朝練→授業→部活。冬は学校→アルバイト→予備校orプール

(今はその半分の体力気力もない、、)

 

原チャリで何処へでも行き、そして何度も事故るため、父に中型二輪免許を勧められるが、足が短すぎて地に届かず断念。

 

それならと、高校在学中の18歳1ヶ月未満の最短で、普通自動車免許を取得しさらに自由を手に入れる。

 

大学時代

 

高校を卒業後、京都の大学に入学。

 

その後、母が「成人T型白血病」を発症し、瞬く間に他界する。

 

残された弟達の為、一旦帰郷も考えたが、周りのサポート(特に祖母)のおかげで大学生活を続行することが出来た。

 

テニス&スキーサークルに所属するも、イマイチ身とならず、バイト三昧の生活を送る。

 

レンタルビデオ店で4年間勤務しながら、JRA(馬券売り)、旅館の仲居、居酒屋、スーパー、試験官、祇園のホステス、、、面白そうなものは何でもやった。

 

バブル期終盤ではあったが、海外旅行に行きブランド品を買うような「典型的な女子大生」であった。

(一応大学はちゃんと卒業し、奨学金も完済)

 

社会人時代

 

旅行好きが高じて大手旅行会社に就職、毎日楽しい社会人生活を送るが、大学時代から付き合っていた彼氏にフラれ奈落の底へ落ちる。

 

見返してやろうと思い、何故か「英会話を上達させよう!」と一念発起して、大金を叩いて英会話教室に通う。

 

さらに、もっと見返してやろうと思い、旅行の国家資格の勉強を始めて、同期入社では最短で合格する。(元カレに感謝です!)

 

入社5年目、友人の紹介で知り合った旦那さんと結婚するが、3年間は子供を作らないぞ!と決め更に仕事三昧の生活を送る。

 

 

妊娠〜出産期

 

2000年

結婚3年目、予定通りすぐに妊娠するものの、妊娠発覚と同時に「8センチの卵巣嚢腫」も発見され、またまた奈落の底へ。

 

妊娠7週目に大量の出血をし緊急入院。

出血が止まらない状態のまま「絶対安静」「24時間点滴」の生活を余儀なくされる。

 

ご飯も寝たまま、もちろん用を足すのも「尿瓶」の生活、その3ヶ月が私の人生観を少し変えてくれる。

 

その後、旅行会社を退職。

 

ほぼ出血もなくなった妊娠5ヶ月目で退院、自宅安静の療養を続けるが、、、

 

30歳の誕生日に、沖縄から来てくれた友人夫婦と「カニ」を食べた途端、陣痛が起り再び緊急入院。

 

入院先では対応できず、1時間以上もかけて救急車で京都の大学病院へ搬送されるが、

麻酔医師が全員オペ中の為、新米医師?が下半身麻酔を担当することになる。

 

陣痛が進む中(子宮口全開)、脊髄に針がきれいに入らず、何度も何度も針を刺される。

 

とうとう産道で引っかかった胎児の心音がなくなり仮死状態に、、、

 

ナント「麻酔が効かないまま」に開腹される。

 

この世のものとは思えない痛さの中、胎児を二人がかりで引っ張り出す、という地獄絵図のような出産であった。

 

妊娠7ヶ月、1502gの低体重児は、仮死状態から蘇生。

 

しかし母体は瀕死。。。

 

直ぐに全身麻酔に切り替え、「卵巣嚢腫摘出手術」に切り替わったそう。

 

あの時、三途の川を見た(気がします。。。)

でも、誰かの手を必死に掴んで帰って来た(気がします。。。)

 

 

2002年

それから2年後、二人目が原因不明の死産。

 

 

2005年

主人の転勤で千葉に転居、不妊専門クリニックで「抗リン脂質抗体症候群」という難病指定の自己免疫疾患が見つかる。

 

2006年

不妊治療を受けながら、体質改善(漢方、鍼灸、整体、運動など)にも取り組み、人工授精で半年後に妊娠。

当時は「抗リン脂質抗体症候群」という病気は珍しく、担当医師は初めての症例だと言っていた。

 

 妊娠直後から対処法となるだけの投薬治療を始めるが、再び転勤命令が出て帰阪する。

 

帰阪後直ぐ、前回の大学病院を受診するが、

今度は「子宮頸管無力症」との診断を受け「子宮頸管縫合手術」を受けることになる。

これも予後が大変悪く、長期の入院となる。

 

 

「子宮頸管縫合手術」後、自宅にて安静生活を送るも再び早産の徴候が訪れた為、

次は、周産期母子医療センターに緊急転院。

 

なんと今度は、「逆子になった胎児の足が、子宮口から飛び出る」という想定外の状態になっており、

 「極めて稀なケース」だと言うことで、研修医が大勢いる前で処置を受ける(10人以上の若き未来の医者に貢献)

 

(そう、あれはまだ妊娠6ヶ月、まだお腹も目立たない長男の小学校入学式の日だったな。。。)

 

あらゆる処置を施したが胎児の足は元に戻らず、緊急帝王切開にて、妊娠25週の928グラムの超低体重児を出産。

母体は、臓器癒着が酷かった為、出血多量のこれまた瀕死。

 

胎児は、呼吸器窮迫症候群で生存率60%と告知を受けるが、どうにか一命を取り留める。

その後100日に及ぶNICUでの治療を経て退院となった。

 

今でも、未熟児網膜症による弱視と軽度の肺動脈弁狭窄症が残る。

 

出産はいつも、母子ともデット・オア・ライブです(ー ー;)

 

 

子育て期

 

2007〜2009年

次男の発達の遅れは顕著で、目も合わない指もささない、、、

 

私は一生懸命に自閉症関連のことや児童発達や心理学の勉強を始める。

 

さらに「早期療育を!」と、数々の療育機関や医療機関、子育てサークルを渡り歩く。

 

2010年

そして遂に、子育てサークルのママさんの紹介で「ERT療法」に出会うこととなる。

その多面的で画期的なアプローチ方法に感銘を受け、自身も習得したいと思い始める。

     

2012年

・ERTスクールに入学(一般コース)

・メンタル心理士やカウンセリング等の心に関する勉強を開始

 

2013年

・ERTプロコース終了を機に自宅サロンをオープン

・カラーセラピーや色彩心理カウンセリングなどの色に関する資格を取得

 

2015年

・樟葉駅近くのワンルームマンションにサロンを移転

・食生活アドバイザーの資格取得

 

2016年

・日本アドラー心理学学会入会(パセージ、パセージプラスを終了)

・ERT育成コースを受講

 

2017年

・ERTスペシャリスト公認施術者を取得

 

2017年

・ERTインストラクターの資格を取得

 

現在は、自身の持病と、子供の障害をいかに改善さすか、、、

 

そして、同じ様にハンデキャップを持つお子さんやお母さんのサポートに興味があります。

 

今後は、同じ境遇の方々に、ERT療法を軸とした多面的なサポートができればいいなあ。。

 

と思っています。